「活況」を目指すのにクタビレることもあるんですね

俺は元々特に丈夫な皆様ではなく、このところは「病」というほどではないけど、ついつい加減が情けないな、という、あやふや体の不整を感じることが増えてきました。丈夫そうなヤツを見ると素晴らしいなぁ、あんな風に追い求めるなと思ったりすることもあります。
少し前、随分具合が悪かった場合、体躯を丈夫にしようと一念発起して、クラブに通ったり一年中散歩をしたりしたこともありました。「がんばらなきゃ!」という、ちょっとはやっていたのですが、忙しくなったり豪雨が続いたりで、ちらっとおっくうになってしまい…。そういう自分に「俺って駄目だな、何故途切れるんだろう、こんなですから具合も良くならないんだよ!元気にならなきゃいけないのに!」といった酷評をし、凹んでいました。けれども…そのうち、みなさんを批判激励して、やりなれないことをやらせて、続けられないことを叱り飛ばして、次いでとっても元気になるのか?という何となく質問がわいてきました。
そんなことを考えているうちに、「丈夫じゃない俺で何が乏しい!」という真意が。ああそうか、俺は「元気にならなきゃ」ということや、「丈夫を目指す振る舞い」に幾らかクタビレてたんですな、という気が付きました。
ならば、いったん元気になろうとするのは保留に決める、どのくらい丈夫かどうかはあんまり気にせずに、「なるたけ頭や体躯が喜びそうな振る舞い」を通じてみようとして、コチラ3か月ほど過ごしています。「なので快調になれました!」と記せるって素敵のですが、そんなにはいかず…(笑) それでも、この方が俺に合っているようで、少々の不整がありながらも、前よりも心は軽やかに生活できているようです。そうして面白いことに、「気が向いた時にやり遂げる」と決めた散歩も、前よりは粛々とたどり着けるようになってきました。

「○○しなさい」と言われるてやる気がなくなってしまうのは、誰にも経験があると思います。けれどもこれって、あなたに対してもそうなんですね。そんなことを思いながら、「体躯」との付き合い方を位置付けるのって、普通「あなたとの付き合い皆様」を考える振る舞いなのだろうなと思いました。あの介護業界で仕事をするなら、どんな資格があると役立つのか?